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David Cole, "A Jewish Revisionist's Visit to Auschwitz", JHR 13(2) (1993)
(アドレス:ttp://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/cole_01.htm)
ここで興味深い点に突き当たります。ツアーでは何が見せられており、何が見せられていないのかという点です。ツアーのあいだ、「死のブロック」、当然にもそのすぐ隣にある「死の壁」を見せられます。虐殺物語を確証し、アウシュヴィッツを、囚人を絶滅した死の装置として描くように設計された展示物を次々と見せられます。
しかし、何が見せられていないのでしょうか。まず、「生存のブロック」とでも呼ぶことができるような建物があります。チクロンBをつかって毎日シラミを駆除し、シラミが媒介する疫病を防いだ大規模な殺菌駆除施設です。これらは、本当のガス室でした。ただし、その対象は衣服や寝具であり、目的は囚人の健康を維持することでした。ホロコースト専門家はこの建物の目的を否定していません。それに触れたがらないだけです。なぜ、事態をこのように紛糾させているのでしょうか。もうひとつ忘れられているのは、アウシュヴィッツ収容所の劇場です。今では、前にお話しした尼僧院がそこにあります。この建物内部を最後に写した写真には、ピアノ、衣装、囚人が出し物を出したステージが写っています。しかし、現在では、尼僧たちが内部の撮影を許可していません。最後に、アウシュヴィッツ水泳プールがあります。そうなのです。水泳プールなのです。囚人バラックに隣接した監獄区画の中にあります。飛び込み台や競技用の「スターター・ブロック」をもつ美しいプールです。アウシュヴィッツ収容所の管理人の方々の名誉のために申し上げておきますが、管理人の方々はこの娯楽施設を取り除こうとはしませんでした。しかし、プールをご覧になりたければ、ツアーでは発見することができませんので、その場所をあらかじめ知っておく必要があります。
(略) 私は何年も自分で研究を続け、また他人の研究を参照してきましたが、ホロコーストの証拠がほとんど存在しないことに気づきました。存在しているのは、「目撃証人」の証言と戦後の自白だけなのです。殺人ガス室やユダヤ人絶滅計画を扱っている写真、計画、戦時中の資料はまったく存在しないのです。ナチスがすべての証拠を破壊してしまったからであるとの言い訳を使うこともできません。ドイツのコード言語は解読されているので、アウシュヴィッツからのものも含む秘密交信記録を解釈できるようになっているとされているからです。ホロコースト物語の理解の鍵は、証拠として提出されている事柄の本質を理解することです。ホロコーストの証拠として使われているすべての事柄も、まったく普通に説明されなくてはなりません。
(略) ロイヒター報告再考
もう一つの問題があります。シアンガスが残余物を残すとすれば、ガス室にはチクロンBの残余物が残っているのかという問題です。1988年、処刑装置専門家のフレッド・ロイヒターが、アウシュヴィッツのガス室を法医学的に調査して、この問題に答えようとしました。彼は、ビルケナウのガス室から4つのサンプル、中央収容所のガス室から1つのサンプル、チクロンBを使用したことが知られている殺菌駆除室の1つから基準サンプルを採取しました。その結果、ガス室のサンプルには感知できるような痕跡がないのに、殺菌駆除室のサンプルにはかなりの量の痕跡が検出されました。さらに重要なことに、1990年、クラクフの法医学研究所が、独自の法医学調査を行い、ロイヒターの結果を反駁できるかどうか検討しました。この調査にはピペル博士も協力しました。彼らの調査もほほ同じ結果を示しましたが、そのときから、話は、「ガス室にはチクロンBの感知できるような痕跡があるかどうか」ではなく、「なぜ、感知できるような痕跡がないのか」という問題に移っていきました。私はこの問題をピペル博士にぶつけてみました。殺人ガス室では感知できるような痕跡がほとんど存在しないのに、殺菌駆除ガス室では大量の痕跡が存在するのはなぜなのかということです。ピペル:チクロンBを使ったガス室が稼動したのは、非常に短く、24時間で20、30分ほどでした。一方、殺菌駆除室は、昼夜兼行で稼動していました。殺菌駆除室とガス室では、ガスの使用方法が異なっていたのです。ここで、ピペル博士が話していることを明白にしておきましょう。私は、「殺菌駆除室での痕跡が高くて、殺人ガス室での痕跡が低いのはなぜなのでしょうか」と彼に質問しました。そして、彼の答えは、殺菌駆除室は「昼夜をわかたず」使われたのに、殺人ガス室は「24時間で20、30分ほど」使われたためであるというものでした。これでは、1日に1回だけガス処刑が行なわれたことになります。この答えは、殺人ガス処刑が昼夜兼行で繰り返し行なわれたという目撃証言とだけではなく、ピペル博士自身の発言とも矛盾しています。のちに、私が1日どのくらいの人々がガス処刑されたのですかと質問すると、彼は、ガス処刑が繰り返されたと述べているからです。
コール:焼却棟2と3では、毎日どのくらいの人々がガス処刑されたのですか。
ピペル:ガス室が毎日毎日数時間使用された時期があったので、この問題に答えるのは簡単ではありません。ガス処刑、焼却、ガス処刑、焼却…という作業が繰り返されたのです。私たちは次の問題を質問しなくてはならないでしょう。ピペルがもともと述べているように、ガス室が「24時間で20、30分」しか使われなかったとすれば、収容所での大量殺戮は起こりえたのでしょうかということです。